tyisca's room

                           ふにゃぱ〜の書いた小説を置いとく場所です。

moonlight nocturne

プロローグ

顔を照らす青白い光り。
辺りを包み込む静寂。
薄暗い部屋。
青白い光の根源は目の前にあるノートパソコンだった。
デフォルトのスクリーンセイバーが作動している。
「…」
俺、何してたんだっけ…。
とりあえずキーを押してみる。
画面が切り替わり映し出される、やりかけのレポート。
「…なっ!」
慌ててパソコンの時計を見る。
午後十時過ぎ、五時間も机に突っ伏して寝ていたようだ。
締切は明日の一限なのに、レポートの進行状況は最悪、まだ半分も終っていない。
ましてや五時間のロスなど予定外だ。
「痛っ!」
首に鈍い痛みが走る。
当たり前か。
あんな体勢で五時間も寝て居たんだから、首の一つや二つ、寝違えていてもおかしくない。
「最悪だ…」
呟きながら、縦軸が右に30度ずれた視界で電灯のスイッチを探し、ONにする。
目前を埋める白い光、微かな目の痛みの直後に見える、開けっぱなしの窓。
同時に目が覚めた理由を思い出す。
「…寒い」
この部屋はアパートの一階。
いくら貧乏男子大学生の一人暮らしといっても、夜に窓開けっぱなしはさすがに危ないなと、窓を閉めようとする。
「雨か?」
土が濡れていることに気付き、手を伸ばす、どうやらもう止んだらしい。
しかし、どおりで寒いわけだ。
窓を締め、パソコンにサスペンドを掛けて、シャワーを浴びることにした。
冷えた体とまとわりつくような眠気を払う為だ。
早々に服を脱ぎ捨て、レバーを下げる、ほとばしる冷水、それを受けとめる肢体、嗚呼……嗚呼なんて冷たいんだこのお湯は。
老人なら逝くぞ。
温度調節ツマミを回して適温にする。
さっきの冷水で目はすっかり覚めて、今後の予定を再構成するのに都合が良かった。
さてと、どうしたものか……まずはコーヒーだな、あとタバコ、それからレポートだな。
片手で頭を拭きながらコーヒーメーカーから褐色の液体をカップに注ぐ。
初めはカフェイン補給剤として飲んでいたが、最近は舌が肥えてしまって味や香りに拘り始めてしまって金が掛かる。
金が掛かるといえばタバコもだな。
コーヒーを啜りながら、タバコの箱を探す。
あれ?確か机の上に置いたよな…。
ライターはあるのにその付近に、あるべきものがない。
ポケットの中を探る………ない。
パソコンの周りに散乱しているCDを掻き分ける………ない。

……
………
はたから見たら薬中みたいだな、俺。
つーか、タバコはすでに薬中みたいなもんか。
探すのを止め、頭を拭き直す。
しかし、あれがないと集中力と根気が80%低下する。

……
………あ
ごみ箱のそばに落ちている塊に気付く、潰れたタバコの箱だ。
そうだ切れてたんだっけ。
財布の中身を確認する、二千円ちょい、明後日バイトの金が入るから少し買い溜めしても大丈夫だろう。
既にタバコ無しでレポートに取り組むという選択肢はない。
時間的に自販機は無理。さてと、コンビニまで徒歩7、8分、結構なタイムロスだ。
急いで着替えると財布だけ持って部屋を出た。
「…寒い」
ジャケットを羽織って正解だったな。
そう考えながら、自販機を通り過ぎる、一面を埋め尽くす売り切れランプ、不便になったものだ。
シャワーを浴びる前に買えば間に合ったのだが、今はとうに十一時を回っていた。
少し大きい十字路に出る、だが、車がまったく通っていない、というか、今まで車に出会っていない、道理で静かなわけだ。
点滅する信号の光を後に、林立する団地を左に、微かに見える目的地の光を前に進む。
静かだ、聞こえるのは自分の足音のみ。
団地の建物に所々灯る光からも音がしない。
雲に覆われた空、薄暗い街灯では、この闇には及ばない。
「わっ!…」
突如、背後から現れたバイクの異大なエンジン音に驚かされ、思わず声を上げる。
この静寂に慣れていた性か、それとも気に入っていた性か、一足先にコンビニに入っていった先程のバイクの男が放っていった音に少なからず悔しさの様なものを覚えいた。
「いらっしゃいませー」無音で自動ドアが開くと同時に、深夜には珍しい女性店員の声。
その屈託のない笑みに、一片の不機嫌さは満点の星空に弾けて消え、たいしたもの買うつもりもないのに、俺は買い物カゴを手に取ってしまっていた。


<第一楽章:黒夕夢>

「ありがとうございましたー。」
冷房の効いた店内から出ると、先程まで肌寒かった外気が生暖かく感じられる。右腕に掛かる重さ、5キロ弱。ビニール袋はタバコ三箱ではありえない体積を包容している。戦利品はタバコ二箱、牛乳二本、コーンフレーク、食パン、カップ麺二つ。タバコ三箱のつもりが、コンビニの策略にまんまと掛かってしまった、何よりあの笑顔を見せられたら、否応無しに店に貢献しようと思ってしまう。
「はぁ…」
ふと、向こうのビルの先端に光が…
その光はビルの壁を伝い、他の家を飲み、道を塗り替える。
そして、一陣の風のように俺の表面を撫ぜ、音もなく通り過ぎて行く。
見上げれば、雲間から出でた青白い月。
眩しさに目を細める。下弦の月、あと数日で満月か。
それにしても…なんて───。
………
思わず苦笑する、年寄りでもあるまいし、何を感慨深くなっているのだろう。
視線を戻し歩き始める。
部屋に戻ればレポートが待っている、早く戻らなくては、戻らなくては…なくては…ては…。
なのに…
俺は…
来た道とは違う道に…歩み…
出していた。 …
……
………
団地の中を抜ける。
建造物に阻まれ、月の光は窓に映るものだけ、頼りは弱々しい街灯、点々と灯る部屋の光は此処まで届かない。人の気配はない。
ただ、静寂のみが支配する世界。
自分はこの静かな闇に飲まれ、消えてゆく…そんな錯覚を覚えた。月光か、暗闇か、静寂か…
そのいづれか、もしくは全てによって、操られたように盲進する。酒に酔った時のように希薄な現実感。
同時に襲う、焦り、使命感。
俺は誰かの為に…
知らぬたれかの…
誰かの為に…
………
突然降り注ぐ碧い雨に目を痛め、我に返る。いつのまにか団地を抜け、月が良く見えた。
目の前には黒い公園。実際に黒いわけではないが、街灯が全て消えていて、そういう印象を受けた。
俺はこの場所を知っていた、図書館への近道、その途中。
普段昼間しか利用しない、この道が夜になるとこんなにも暗く、おどろおどろしくなるものなのかと、背中に寒気を感じた。
アパートからはそう離れていない、時計を見ると10分程度しかたっていない。
図書館への行き帰りにコンビニに行く近道を見つけたと多少喜んだが、レポートに追われ時間に余裕のない俺が、なぜ、こんな所まで来たのか解らなかった。

まぁ考えるのは後だ、今はとにかくレポート。
歩調を早め、公園の左側を迂回する。
公園内を突っ切ったほうが早いのだが、入り口にチェーン、工事中の看板もあり、それは危険と判断した。
月明かりとは対照的な闇に囚われた公園は、フェンス際に並ぶ木の壁に遮られ、中を伺い知ることはできない。
「―…」
ふと何か聞こえたような気がした。
軽く寒気を覚えつつ耳を澄ます。
「……」
何も聞こえない。
気の性か、月にやられたか。
大昔、月は人を狂わすと信じられていたという話を思い出していた。
とても自然に、何となく。
そして、今日何度目になるか、月を見上げる。
透き通るような青。
凍てつくような蒼。
狂わせるような碧。
されど、月は青くも蒼くも碧くもない。
単なる乳白色の光。
それがなぜこんなにも
青く
蒼く
碧く
頭の中で呪文のように迷走する言葉。
極めて不可解で内面的なパラドックス。
決して答えに辿り着くことはない無限回廊。
「………ふぅ」
今日はどうかしている。
「…―っく」
また、何か聞こえた気がした。
さっきより近くから、しかも、人の啜り泣く声のように感じられた。
「…ぅり゙ゅ…っく…」
真横からの声。
思わず足を止める。
確かに聞こえた、暗き公園、厚い木のカーテンの向こうから、少女の泣き声が。
ゾクッと音が出るほど身の毛がよだった気がした。
見てはいけない。
そう直感した直後、見なければならないと決断が下された。
また、ここに来てしまったときのように、抗うことのできない未知の何かに身体が乗っ取られた。
思考に反して自身が身を屈める。
木の下から見れば公園内が見える、だがそこには何かがいる。
まだ見えてもいないのに、すぐそこに何かか存在する事は確実だと判った。
思わず目を瞑る。
そこだけは自意識で操作できた。
不可解な現象に対する細やかな抵抗。
幽霊の類は信じていないが、正直な所、怖くないわけがない。
場合によっては信じざるをえないかもしれない。
屈伸運動が止む。
もはやフェンス挟んだすぐそこにそいつは居る。
嗚咽は更に鮮明に聴け、息遣いまではっきりと解る。
だが、そこからは何も変わらない。
塞いだ視界の先にそいつが居て、そいつの泣き声が聞こえるだけ。「―――」
「――」
「―」
どれだけこの状態が続くのだろうか。
次第とこの状況に慣れ、冷静さを取り戻してきた俺は、むしろレポートが終わらず単位を落とす事の恐怖の方が強まってきた。
この一瞬間の為に一年間を無駄にするなんて馬鹿げている。
呪いでも祟りでも何でも来やがれってんだ!!!
「―っ!!!」

そこには小さな白い背中があった。
擦り傷と泥と白い何かに汚れた少女の背中を、木々の葉の間から零れ落ちる僅かな光がはかなげに浮かびあがらせていた。
完全に思考が停止し、身動きさえできない。
微かな泣き声が奏でる悲壮の静寂の中、ただ、彼女から目を離したくない、それだけに支配された。
そんなとき、場違いな音楽が流れ、静寂は跡形もなく霧散する。
俺の携帯がメールを受信した音だ。
白い背中は『ビクッ』と音が出そうなくらい勢い良く身を硬直させ、恐る恐る振り返る。
『ゴクッ』と喉が鳴った。
俺はどうしてこの子に関わろうとするのか、その答えが解ると思ったからだ。
顔がこちらに向けられるか否かというときに、彼女の身体が消える。
月が雲に隠れたせいだ。
もう、泣き声は止んでいて、完全に無音であるかのような錯覚を覚える。
俺からは彼女の顔は見えないが、きっと彼女からは俺の姿が見えているだろう。十数秒たっただろうか、雲は去り、再び光が舞い降りて、徐々に彼女が光を返す。
そこには………

そこには、俺を見つめる少女があった。
泥と涙と白く濁った液体でぐしゃぐしゃに汚れた顔で、怯えた目を向けながら、はっきりとそこに。
そこで俺は恥じた。
混濁する現状認識の中、意味無く過ぎた時による悔恨に駆られながら、自己の保身と利己のみしか考えなかった事を。
「大丈夫かっ!?」
口から出るのは通り一辺の言葉のみ。
そんなの、大丈夫じゃないに決まってる、なのに…。
そして、その言葉にさえ肩を震わせる少女。それが恐怖によるものか、それとも寒さによるものなのか、俺には判らない。
「とにかく、これ着て待ってろ」
俺は上着を放った。
風に流されることもなく、木に掛かることもなく、それは少女の前に辿り着く。
少女がその上着に手を伸ばしたの確認して、公園の入り口を目指して走りだした。

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